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僕の先生

更新日:2021年8月23日

今日は僕が大学時代に大変お世話になった先生のお話し。僕は画家である母ひとりに育てられた。ひとり親という事もあって母は近所でもなかなか知れたスパルタであった。しかし勉強嫌いの僕はちっとも勉強に集中せず部活ばかりにあけくれていた。中学三年からやっと危機感がわいて必死に勉強し始めるも到底トップの進学校へいける学力には間に合わず、なんとか真ん中より上?くらいの進学校へ行けるくらいの成績にはなったのだけど、とうとう体調を崩して。。半ばあきらめで工業高校へ入ったって言ったほうが正しいかもしれない。

でも、高校の時に建築に出会ってしまい、その面白さにのめり込んでしまった。山岳部に入っていた僕は放課後のトレーニング後に近くにできた図書館に毎日のように通い建築の専門書を読みあさった。

それで、卒業後に働く予定であった僕が親不孝にも大学に進学することになってしまった。

これまで出会った自分というものを形成するカケラになる大切な先生は何人かいるけど、今日お話しするのは、その中の一人。大学の非常勤講師である長谷雄先生。出会いは設計の授業で成績の良い生徒が(生徒と先生の投票で選ばれる)自分の作品を発表する公表会という場所でした。公表会が終わっても必死で模型の粘土をこねくり回している僕に声をかけてくれた。それから先生の自宅兼事務所にお邪魔しては、設計のことや自分の悩み相談を受けてくれた。でも大抵、その後はビールを飲みながら話しがいろいろと脱線しはじめて。。奥様が焼酎、お酒、お茶を挟んでまたビール笑。もともとお酒の弱い僕はもう眠くなってきて、先生もべろべろに酔っぱらって、何を話してるのかわからないけど愉快で”がっはっは”って笑いがこみあげてきて、ジャズをかけながら男ふたりで聞き入って。なんのことやら笑

そんな先生の超ポジティブな性格から、僕の後輩は大分の高田純次とも言っていた。

時々先生の設計した建物を見学させてもらった事があったけど、気取らず威張らずでもすごく品があってすごくいい作品ばかりだった。そして僕に北欧建築を紹介してくれたのも先生だった。ノルウェーのフェーン事務所を訪ねた話しやアアルトの建築、ヘルシンキでのレイヴィスカ事務所に門前払いされた話しも帰国後に訪ねた時に話しを真剣に聞いてくれた。

よく自宅にも泊めさせていただき奥様にもすごく良くしてもらった。もう先生は亡くなってこの世にはいなくって寂しいけれど、今でも椅子に座ってたばこを吸いながら、がははって笑う姿が目に浮かぶ。そんな真剣でふざけた(笑)大人に僕もなりたいと思う。




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